自分に正直に生きる

にわちゃんと光ヶ丘のホテルで深夜ディスカスなう。

非日常の状態で、ディスカスしたかったんです、彼と。

 

 

気付いたら、経営と人間味について話してた。

以下、長いしハナシがあちゃこちゃいくので注意です。

 

 

 

 

会社の方向性って、トップの影響力が非常に色濃く出る。

その中で、人間味、いわゆる人情をどう取り入れるか。

 

経営者の命題は、ゴーイングコンサーンといわれるように

企業を存続させていくことである。

 

一方で、存続させていく事は、

living dead状態であり罪である、

成長させないと、若い能力ある人員を確保しているだけであり

社会的ムダ使いである、という人もいる。

 

 

 

ここから、まだ経営をしたことがないので、

非常に生意気だが、

考えてることを書こうと思う。

 

 

組織を見ていて考えるのが、

 

「人間味を一切排除した、利益のみを勘案する意思決定は企業の成長にとって

良いのか否か。」

 

ということである。

 

Xのプロジェクトにあたり、一番成功しやすいであろう10年目のAさんをアサインする。

一方で、ここは情熱的に携わっていて頑張っている新卒のBさんを

こけるかも知れないが、アサインする。

 

短期的に見ると、Aさんをアサインした方が、成功確率が高いので

失敗のリスクはなくなり、会社は成長するかも知れない。

一方、Bさんをアサインした場合、今回は、

そのプロジェクトは失敗するかも知れない。

しかし、Bさんは、自分に大役を任せてくれた会社とその責任の重みを

決して忘れはしないだろう。

そして、リベンジを果たすべく、再度立ち向かってくるだろう。

 

ソーシャルリクルーティング時代に任せてくれた任務の重さ

会社の器は決して忘れられない。

確実にリベンジして、貢献してやると誓ったのをよく覚えている。

 

それは、会社の意思決定だけでなく、

人としての生き方にも繋がると思う。

 

例えば、Aさんとは今後、こういうメリットがあるから、付き合うとか

Bさんは、繋がっておきたいが、ちょっとクセがあるので、

こういうスタンスで、話そうとか。

Cとはメリットがないので、会わない、とか。

 

 

結局、これって、

コマとして見るか、

ヒトとして見るか、

の違いだと思う。

ここは、やはりヒトとヒトの化学反応で起こることなので、

論理では補えない部分がある。

 

ぼくは、そこの部分は捨てられない。

やっぱり、人間の泥臭い部分をいっぱい感じたい。

 

決して、成果主義を否定しているわけではない。

ただ、サラリーマン金太郎のような

ちょっと臭いくらいの人間味があったほうが、

人生たのしいではないか。

 

 

 

ある人が言ってた。

「なぜ、ベンチャーやスタートアップに入るのか。

それは自分に正直に生きるためだ。」

 

まさしく、その通りだと思う。

自分に、正直になるために。

自分が正しい、と思った軸だけにそって、生きていくために。

ここの部分がぶれると、GREEを辞退した意味も無くなる。

 

 

結局、ぼくが作りたいものは

会社の圧倒的成長ではなく、人の圧倒的成長なのかもしれない。

泥臭い人間のドラマを見るために、僕はこの道を選んだんだと思う。

これは、社会に出た事がない、青二才の戯言だろうか。

でも、僕の作った会社が、その人の人生において、

方向性を変えてしまう程の大きな影響を与えられたのであれば、

これほど嬉しい事はないと思う。

そして、それを間近で見たい。

 

ベンチャー界隈で注目を浴びる史上最年少上場社長よりも、

お互い強固な信頼と絆で結ばれた人達と一緒に働く社長のほうが

僕は目指すべき像に近い。

 

勿論、成長も人間味も両方とりにいくが、優先順位は後者が高い。

 

今、企業の成長には、人間味って、軽視されてるよねって前提で

書いているが、これは、僕の独断に過ぎない。

そういう会社ほど、一般世間では成功しているよね、

って言われがちだというのも、僕の偏見。

第三者は、基本的に数字でしか判断できないので、当然といえば当然。

 

 

あーー

ごちゃごちゃしたけど、こんなかんじや。

自分に正直に生きたい。

たとえ、自分の周りの人全てが

反対し、非難し罵倒したとしても

貫き通す強い自分がほしい。

 

 

自分に正直に生きたい。